◯和の間◯ ストーリー

◯和の間◯セラピストが綴るコーヒーブレイクストーリー

ほっこり写真集。①

今日は少し休憩モード。

なので、今まで出会ったほっこりするものたちをご紹介します。

 

バングラデシュ:たわわに実ったジャックフルーツジャックフルーツに食らいつく時のベンガル人の無言っぷりはなかなか見応えがありました。

まだ食べたことがないって方にお伝えするとすれば、マンゴーの10倍ぐらい甘いです。

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バングラデシュ:そこら中に野良やぎがいて、なぜか子ヤギが多い。そして妙にみんな人懐っこいです。

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かの有名な奈良公園の鹿たち。いいショットが撮れました。

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タイ:いつもスクール界隈に出没していたアイスクリーム売りおじちゃん。いっつもニコニコしてました。

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スリランカ:とあるホテル敷地内で出会った長老。バルコニーに出たら握手されかけました。握手するべきだったのか。。。

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タイ:最初のマッサージスクール敷地内に住み着いていたネコ。いつもお昼時にどこからともなく現れて、ご飯をせがんできました。

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以上、ほっこり写真でした!

今日は満月なので、ゆったりした気持ちで過ごせるといいですね。

 

名言からわかること。①

”常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない。”(アルベルト・アインシュタイン

 

私の好きな名言の一つです。

 

私は幼少期から両親のしつけが厳しく、他者に恥じない生き方をするよう教育されてきました。

その前提には常に常識や当たり前という考え方があり、知らず知らずのうちに常識の範囲内で安全に生きる選択肢しか見えなくなっていました。

それでも大学生になり、自分のやりたいことにまっしぐらだった時期。

開発途上国と言われる地域に実際に赴き、何が起きているのか自分の目で見てみたいという強い衝動にかられて、モンゴルやインド、フィリピン、バングラデシュを訪れる機会に恵まれました。

そこでは今まで考えていた「当たり前」は一つもありませんでした。

 

モンゴルでの水は砂漠地帯のため一日に使える量は限られていて、蛇口をひねれば水が出るわけではないこと。

律儀に順番に列に並んでいる限り、決して窓口にはたどり着けないこと。

ビザを取得するのにただ書類を揃えればいいだけの話ではないこと。

シャワーから暖かいお湯が出ることはなく、冬場でも冷水のシャワーを浴びなければならないこと。(バングラデシュの冬は10度ぐらい。)

着ている服はボロボロで裸足で、髪もボサボサなのに、いつも無邪気に駆け回ってケラケラ笑い、エネルギーに溢れていること。

 

ありとあらゆることが今までの「常識」を覆し、無意識に自分をしばっていたものからふと解放されていました。

常識というのは、どこかの場所や組織の中で生きる時にどこからともなく出来上がるルールであり、そのルールの上で生きるよう強いられていることが今の社会ではとても多いように思います。

何か目標を見つけてそれを達成したいと思う時、常識や当たり前だと思っていることを一度見直してみると、いいのかもしれません。

 

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子育てと瞑想。part 2

育児と瞑想。

一見、全く関連性がないように見えますが、これがどう繋がるのか。

自分の実体験を通してお伝えしたいと思います。

 

私が行なっているヴィパッサナー瞑想とは「ものごとをありのままに観る」という意味を持っています。

ブッダが悟りを開く時に行なっていた瞑想法であり、様々な瞑想法の中でもっとも基本的で、「どのようにしたら生きやすくなるか」を追求した一つの哲学だと私は捉えています。

瞑想を続けていくと何が起こるのか。

最初のうちは色んな雑念が入ってきて集中できないのですが、「私は今雑念に捉われている」ということにだんだん気づけるようになってきます。

次第に、自分が今どんな姿勢で座っているのか、何が聞こえるのか、客観的にそれらを認識できるようになり、最終的にはただそれに気づいている、というだけのとてもシンプルな状態になります。

 

この、「ただそれに気づいている」という状態が、育児をする上でとても有効だということに気づかされました。

 

自分はすごく眠いのに赤ちゃんは全然寝てくれない。

だんだんイライラしてくる。

 

このイライラの原因は、自分が求めていること(=静かに眠ること、赤ちゃんが寝ること)ができていないことだと思います。

「私は今眠りたいんだ」ということに気づく、「赤ちゃんが寝ない」という状況に一旦気づくことができれば、それを解決するためにどうしたら良いか、解決策を考え始めることができます。

育児と向き合う上で一番肝に命じておきたいのは、今起こっている状況に自分が一つ一つ反応することをやめ、ただ対応すること。

それに尽きるような気がします。

 

 

反応するから感情が生まれて疲弊する。

それなら反応することをやめる。

極端な言い方かもしれないけど、ただ俯瞰して対応する。

これだけでも、育児のストレスからだいぶ解かれたように思います。

 

もちろん私は悟りを開いているわけでもないので、つい反応して感情がむき出しになることもありますが、それでも瞑想を始める前よりはだいぶ楽になりました。

一日の数分でもいいので、どこか一人で静かになれる場所に座り、目を閉じて自分を内観してみるだけでもいいかもしれません。

 

育児のこと、また今後も書いていこうと思います。

子育てと瞑想。part 1

こんにちは。

地球やセラピストのminakoです。

 

我が家には今、1歳7ヶ月の娘がいます。

まだ言葉は話せないものの、自分の意志が少しずつ出てきてちょっとしたコミュニケーションが取れるようになり、育児を少し楽しめる余裕も出てきました。

 

ですが、何せ初めての育児。

生まれたばかりの頃は、なんで泣いてるのか、なんで何をしてもぐずるのか、分からずイライラ。

色んな育児本を読んでその時は一瞬納得するものの、いざ現実となれば目の前の赤ちゃんに翻弄される日々。

やりたいことが全然できない、完全に赤ちゃん中心の毎日に疲れ果てて、お食い初め写真の写真たてを投げつけて発狂したこともありました。

それでも今、保育園に預け始め、自分と子供が別々に過ごす時間が増えたことで、育児との関わり方を見直すことができました。

そのきっかけには、私が以前から実践しているヴィパッサナー瞑想がとても役に立ちました。

 

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part 2へ続く。

 

 

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タイ古式を選んだ理由。

こんにちは。

地球やセラピストのminakoです。

 

今回は、数あるセラピーの中からなぜタイ古式マッサージの道を選んだのか、お伝えしようと思います。

暇つぶしに読んでいただけたら嬉しいです。

 

タイ古式マッサージと出会ったのは今から10年前。

当時はまだNPO職員としてバングラデシュに派遣されていました。

 

ビザの取得のため、一時タイのバンコクに出向いたのですが、ビザ取得以外の滞在時間が余り、せっかくならタイ古式マッサージを少し勉強してみようと軽〜い気持ちでワットポーに足を運びました。

 

タイのマッサージスクールでは必ず毎朝、「ワイクルー(ไหว้ครู)」と言って、練習前にお祈りをします。

タイ古式マッサージ創始者と言われているシヴァカ・ゴーマラパット師(Shivaga Komarpaj)に手を合わせ、私たちが向き合うクライアントの痛みが取り除かれるようお祈りを唱えるのです。

 

訳も分からずパーリ語のお祈りを毎日唱えているだけなのに、なぜか妙に心地よい気持ちになったのを覚えています。

施術前にクライアントの健康を祈り、師に感謝をする。

 

自然にタイ古式マッサージに対するタイ人の思想が伝わってきて、

「あー、そういうことか」と腑に落ちた感覚は、今までに感じたことがないほど強烈でした。

 

シヴァカ師はブッダと時代を共に生きた医師であり、ブッダの主治医であったそうです。

創始者ブッダの主治医であったことからタイ古式マッサージは仏教との関連性も非常に深く、仏教と共に発展してきたマッサージ手法です。

 

タイ古式マッサージで身体を整えることで精神と心とのバランスがとれ、生きとし生けるものが幸せであることを祈る仏教の思想と結びつくのだと思います。

 

実際にタイで行われている伝統的なタイ古式マッサージを見てみると、お寺で行われているものがその発祥であったり、中には悪霊を取り除く儀式的なものもあり、タイ古式の奥深さはまだまだありそうです。

 

コロナが落ち着いたらまたタイに行って、タイ古式マッサージをさらに深く掘り下げたいなと思っています。

 

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セラピスト転職へのきっかけ。part 2

ある時、その方がおっしゃっていました。
「私にとっては震災が全部洗い流してくれた。逆に感謝しなくちゃ。」
 
ものすごい衝撃でした。
震災で心を痛めているはずの人に、支援者である私は逆に励まされていました。
 
その時、自分の中で何かが大きく変わったのだと思います。
 
そもそも、人の支えになるとはどういうことなのか。
 
私はNPOという組織に守られ、支援者であることにしがみついているだけで、
本当の意味での「支援」とはどういうことなのか、わからなくなっていました。
 
アロマセラピーを受けながら身体がほぐれ、いつのまにか心も自然にゆるくなっていました。
 
「身体がほぐれると心もゆるむ」
このものすごくシンプルな事実にハッとさせられました。
 
身体が健康であれば、日々の活動の質も上がります。
その「土台づくり」をすることで、私は人の役に立ちたい。
 
世の中で頑張る人の支えになることが自分の使命だと、素直に腑に落ちた瞬間でした。
  
他の人が何かしら抱えている障害だったり、ストレスだったり、行き詰まりを取り除くことができたら、その人はきっと、最善で最高のパフォーマンスを発揮できるはずです。
 
 
 
身体と心と精神(魂)は繋がっています。
「そんなことわかってるよ」
と言いたくなることだけど、本当に大事なことです。
 
 
今ではこの仕事が天職であると思っています。
 
今でも釜石で出会ったセラピストさんには本当に感謝しています。
この仕事に出会えたことに本当に感謝しています。
 
ちょっと疲れたな、と思った時にふと「地球や」のことを思い出していただけたらすごく嬉しいです。
いつもありがとうございます。
 
 
次回は、数あるセラピーの中でなぜタイ古式の道を選んだのか、お話ししたいと思います。

セラピスト転職へのきっかけ。part 1

こんにちは。
地球やセラピストのminakoです。
 
タイ古式セラピストになり、8年が経ちますが、セラピストになる前
私は国際NPOの職員でした。
 
いつも周りの人から聞かれます。
「全然関係ない道に進んだのはなんで?」
 
10年前の私はイギリスの修士課程で開発学を学び、その後NPOバングラデシュに派遣され、国際協力の道をまっしぐらに進んでいました。
 
「社会的に不利な立場に追い込まれた人たちのために、何かできることをしたい」
 
その思いで、目の前の活動に悪戦苦闘しながらも取り組む毎日でした。
 
 
そんな中、2011年に起きた東日本大震災を受け、岩手県釜石市での支援活動に関わらせていただく機会がありました。
 
まちの復興にはまだまだ時間が必要で、物質的な支援が急務であったものの、
被災者への心の傷はあまりにも深く、支援者もまた被災者になリかねない状況でした。
 
被災者の気持ちを真っ向から受け、仕事にも行き詰まりを感じていた時に
とある仮設ビルの一間でアロマセラピーを行なっているお店がありました。
 
そのお店の方は震災で自宅を流され、今は仮設でアロマのお仕事をされていました。
とても気さくでよく笑う方で、私も気分転換に何度かお店に通うようになりました。
 
 
 
 
part2へ続く。